木村直人のはてなブログ

作品制作への向き合い方

セルフ・モニタリング 2022年5月

第1週

SOMPO美術館で『シダネルとマルタン展』を鑑賞。印象派の画家が風景をどう見つめていたのか、見直すきっかけとなった。

東京オペラシティアートギャラリーで『篠田桃紅展』『1960 - 80年代の抽象』『諏訪未知』を鑑賞。卓越した技術を持つ抽象画、コンセプチュアルな抽象画を大いに楽しんだ。同行者とは、抽象画と具象画の位置関係、日比野克彦の功績などについて盛り上がった。

 

国際子ども図書館で『上野の森をこえて図書館へ行こう! 世紀をこえる煉瓦(レンガ)の棟』を鑑賞。建築が非常に美しく、また設立の経緯に東京藝大や国立科学博物館が深く関わっていると知った。隣の黒田記念館へも訪れた。

東京国立博物館で『空也上人と六波羅蜜寺』『沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」』を鑑賞。琉球では、特定の刀剣のみ女性客が殺到して撮影をしており、刀剣乱舞のモチーフになった作品とのことだった。

インターメディアテクで『驚異の小部屋』『仏像工学 -- 追体験と新解釈』『プロトログ -- 山中俊治デザインの発生学』などの展示を鑑賞。東京藝大の保存修復に係る作品を東京大学の博物館で見かけ、頬が綻んだ。

東京ステーションギャラリーで『牧歌礼讃/楽園憧憬 アンドレ・ボーシャン+藤田龍児』を鑑賞。

 

東京藝術大学大学美術館 陳列館で『東京藝大AAI(アジア・アート・イニシアティブ)特別企画展「アート&デモクラシー」+「Masking/Unmasking Death 死をマスクする/仮面を剥がす」』を鑑賞した。

 

第2週

新潟県十日町市に訪れ、棚田とその周辺を巡った。『大地の芸術祭 2022』を鑑賞した。

 

第3週

寛永寺国際子ども図書館東京藝術大学大学美術館 陳列館、旧東京音楽学校奏楽堂、 日展会館を巡る。

さかつうギャラリーで『BOSIX WORLD -どこかで見た鉄道風景-』を鑑賞。ジオラマ作家の持つデッサン力の高さが窺えた。

SCAI PIRAMIDEで『Anish Kapoor : Selected works 2015-2022』を鑑賞。

complex665で複数の展示を鑑賞。

国立新美術館で『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』『ダミアン・ハースト 桜』を鑑賞。

 

期間限定ショップ in 京王百貨店新宿店を訪れる。

 

第4週

国際子ども図書館上野の森美術館UNIQLO TOKYO、高輪ゲートウェイ駅、TERRADA ART COMPLEXを巡る。

 

2022年5月 時点での目標

・人生における目標… 自分の困っていることは、他者も悩んでいること。自らの働きかけで、取りこぼしそうになる誰かの違和感や不安を掬う。

・制作における目標鑑賞者ががわくわくするものを、彼らの心に影響を残し続けることが出来るものを作る。自分のやりたいことにもっと向き合って、自分が熱中できるものづくりを。また、完成後にもっと場に留まり、空間を再考する。

 

制作の周辺で気づいたこと

卒制も機関車でいい。藝大というレベルの勉強のベースはある。UXは理解をしてきたつもりだ。だからこそ、やりたいことを探す。デザイン科の研究室に行くよりも前に。絵画創作概論における篠田太郎先生の言葉の影響もある。

 

最近では、若いアーティストたちが「普通の成功」のために「プロのアーティスト」を目指す傾向があり、私はそれに危機感を覚えています。アートとは内面的な探求であり──成功すればそれは「よかった」と言えますが──成功は決して重要ではありません。私はたまたま多くのお金を稼ぐことができており、それは嬉しいことではあります。しかし、お金を稼ぐこと自体は「よいアーティストであること」よりも簡単なことなのです。

私は20年以上教鞭を執っていますが、本当の意味で「アーティスト」だったのは5人ほどしかいません。彼らはアートとの関係が「運命」のようなものだった。よいアーティストになるために必要なのは、勤勉ではありません。美術学校で学んでもそれが役に立つわけではない。アーティストにとって重要なのは、「待つこと」なのです。ここでも内面的な考察が大事です。

探求に没頭している人だと思います。勉強したり働いたりすることは意味がありません。一日中、探求のなかに生きるのです。私は学生に「一番新しい作品が素晴らしいと言われたら、その人にキスしてください」と言っています。それだけが重要なのです。繰り返しますが、アーティストは作品だけが重要で、それ以外はまったく意味がありません。 

https://bijutsutecho.com/magazine/special/promotion/20001

 

現代社会は、メリトクラシー能力主義によって給料や社会的地位が変わることになっている。能力主義が成立する前の、身分制度の世の中に比べればマシだというのは理解できる。ただ、その能力主義がすっかり隅々にまで浸透し、みんなの常識になった結果として、その競争ルールでは不利にならざるを得ない人々が不遇をかこつ状況までもが正当化されて構わないものなのか、その正しさが、私にはときどきわからなくなる。

能力のある人々が頭角を現すのは、別に構わない。けれども当代に期待される能力が乏しい人々が、単に収入や地位が得られないだけでなく、その内面において「自分はどうしようもない」と思わざるを得ないのは、行き過ぎているのではないだろうか。
ところがこの行き過ぎが社会の常識にまでなっているものだから、「能力も努力も足りなかったのだから仕方がない」の一言で片づけられてしまう。

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20191201/1575181566

 

じゃあ、皆が努力しているなかで、恵まれている人と恵まれていない人は何が違うのか?
あえて単純化するなら、恵まれているか否かの違いは、「努力ガチャの質と量の違い」で比喩できるように思う。
たとえば10代後半に努力し、結果を求めるトライアル全般を、ガチャを回す行為になぞらえて考えていただきたい。
恵まれた環境にいる人が回す努力ガチャには、アタリがふんだんに含まれている。アタリの名前は、そうですね、東京大学入学とかスポーツ選手とか、人脈と言えるような縁を獲得するとか、そういったものをあてがっていただきたい。
ひとことで努力と言っても、恵まれた環境にいる人の努力はこのようなものだ:効率的だったり目的に適ったメソッドを伴っていたり、複数の目標にリーチできる多様性や多弾頭性を伴っていたりする。だから努力という名のガチャを回した時、本命のアタリを引く確率が高いばかりだけでなく、アタリの種類も多かったりする。
逆に恵まれない環境にいる人が引く努力ガチャには、アタリが少ししか含まれていない。絶無、という場合だってあるだろう。努力をしているのは事実としても、賽の河原に石を積むような努力、シベリアで木の数を数えるような努力、そんなアセスメントのだめな努力をやってしまっている・やらざるを得なくなっている場合も多い。努力家できる素養に恵まれている場合でさえ、アセスメントが弱くて東京大学入学までは難しい・地元国立大学に入るのが精一杯ということも多い。スポーツ選手になるにしても、親がそれを応援できる度合いが低ければアタリを引く確率はどうしても下がってしまう。人脈に関しては、人脈と言えるような縁を獲得する確率が下がるだけでなく、なんなら、腐れ縁に巻き込まれてしまう確率すらあるかもしれない。
だから同等クラスの努力をやったといっても、恵まれた環境にいる人とそうでない人では、アタリを引ける確率も、アタリの上限も、だいぶ違っていると言わざるを得ない。そのことは、恵まれない環境にいる人ほど自覚しているように思う。
そのうえ、努力ガチャを引ける数自体、環境の良し悪しによって変わってくる。

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20220518/1652878800

 

・テレビとソファのある部屋は、吹き抜けにしたい。いいスピーカーで空間を響かせる。いいスピーカーでいい音を流すと、部屋の時間の流れが変わる。ワーキングスペースは、景色の見える場所にしたい。

 

・古い空き家を使って、トロノキハウスのようなリノベーションを行いたい。都心とは違う、借景を引用することの出来る、景色の良いところに住みたい。電車のある駅までは、バイクか、車か。

 

まあハッキリ言って、ダミアンさんは美術アカデミーでは絵画の劣等生だったでしょう。僕もある意味そんな者だったのでわかるんです。美術アカデミーには稀にホックニーみたいなナチュラルボーンな絵描き体質の人がいて、それに比べたら自分は偽物だという意識は、本人は無意識レベルだとしても持つものですよ。それでガラッと逆を行く。牛やサメの死体、薬の棚、ダイヤモンドの髑髏......鮮烈なイメージを浮かべる才能はズバ抜けてあるわけです。あとカッコいい広告みたいなアートがつくりたいと本人が語ったように、ある種の視覚伝達デザインみたいなセンスも秀でていた。それを100パーセント使った、絵画というか平面作品の成功例がスポットペインティングだった。そこにプラスαぐらいな要素だと僕は思うんだけど、「生と死」といった普遍的なことを考える知力と真面目さもあった。これらの要素が「絵画の冬の時代」とマッチして、若くしてあれよあれよという間に大成功を収めさせた。けれど年齢を重ねて、僕と同じく父親になって、醜く腹も出てきて、昔のある「後ろ暗さ」みたいなものがぶり返してきたんじゃないかな。自分は絵画から逃げることで、この成功を手に入れた。クールに作戦を考えて、人々をあっと驚かせる──そういう現代美術の効率的な成功はもう前のヴェネチアでマックスまでやって、自分でも飽きてしまった。今こそ絵具とネチョネチョと不器用に格闘する、古臭い方法論である絵画に挑戦してみたい。モチーフは鈍臭いかもしれない、母親が好きだった桜を敢えて選んで。そうしてホックニー先輩にも認めてもらいたい。......いやまあ、ほとんど僕の妄想ですが。

https://bijutsutecho.com/magazine/interview/promotion/25519

 

主に広告をつくってきました。人の魅力やパワーを最大化することに非常に興味があります。人が、今ま で見たことがないくらい美しく輝いているとか、いつもの10倍笑っているとか、人間が最大化される瞬間ってあるんですよ。そこには企画とか演出とか表現、デザインというものが重要な役割を果たす。アウトプットとして、それが結果として、CMだったり、ポスターだったり、イベントだったり、番組だったり場だったり、 形は様々ですが、 僕にとっては全て「広告」なんですよね。

人と会って、ものをつくっていないと、 自分のいろ んなものが一気に鈍るだろうなと思います。

https://design.geidai.ac.jp/interview-moving-and-still-image-studio/

 

気になった書籍からの引用

私が作品を制作するにあたって、読書は欠かせないものである。作者が自分自身の持っているスタンスやイデオロギーの偏りに気付かぬまま生み出された作品を、僕は好まない。表現したい何かを見つけたとき、僕は自分自身の生み出す作品によって、鑑賞者を適切な方向性に導きたいと考えている。そのためにはあらゆる鑑賞者、ひいては社会をつぶさに見つめる観察眼が必要だ。その観察眼のくもりを少しでも晴らすために、今日も読書をする。

僕がどのような本を読み、どのような文から学びを得たと感じたのか、それを記録し共有することの目的は以下である。僕の作品がひとりでに歩み始め、僕の作品やその背景に居る僕をもっと知りたいと思う鑑賞者が現れたときに、彼らがストレスなく容易に僕の思想に触れる手段として、私の読んだ本の引用の羅列が最適と考えたからだ。僕の思想は読書によって得た知識の含有量が最も多く占めている。この “最適” はアップデートを前提としているので、未熟であることをご容赦いただきたい。

 

ーーーーー『芸術する人びとをつくる ー美大生の社会学ー』ーーーーー

先生方は色々な差こそあれど「自分が表現したいものはなにか」と「自分が作ったものをシビアに観察すること」を重視して指導していたと思います。

奥村 : いや、芸術は教えるものではない、A大はただの場所です。空間です。スペースです。

一応教育が目標じゃないですか?大学だから

奥村 : でも、学ぶこととか、創り出すっていうのには場所っていうのが不可欠なんですよ。そこの存在ないっていうのは、あるないっていうのはすごくおっきくって、分散してちゃいけないんですよ、その場所っていうのは、集結してないといけなくて、曖昧だからこそやっぱり、大学っていうかたちが必要なんですよ。

ー んー、人じゃなくてですか?なんか、周りに同じ様なことやってる人がいるって

奥村 : んー、与えられるものではないと思います。新しい知識が手に入ればっていうものではないことなんです。制作と一緒で、何もないところから生み出すことが、たぶん芸術に必要な要素なんじゃないかなと思って、それは与えられてやるんじゃなくて、 自分から見つけ出す、っていうことが重要、そのために、すぐ見つかるものじゃないから、期間がいるんですよ。場所っていうものに、その期間を確保してもらわないと、やっぱり難しいんですよね。だから、居る私たちは、なんか楽しいから、自由だからっていうんじゃなくて、その与えられた期間をすごくたくさんの時間をどうにかして、有効にして、何かなんでもいいから掴み取らなくちゃいけないんですけど、そういう場所だと思います。だから、何もないんです。ここは。

一 何もないんですか?

奥村 : 人が入れ替わってってるだけで、入れ替わってって、ただ建物があるだけで、ここに来れば何かが得られるっていう場所ではなくって、ただあるだけの場所なんですよ。

ーーーーー『芸術する人びとをつくる ー美大生の社会学ー』ーーーーー

 

ーーーーー『村上隆完全読本』ーーーーー

保科 ただそれがいいかどうかは、また別の問題なんだよね。卒業制作だったら声をかけられるのもいいかもしれないけれど、2年とか3年生の絵を、ギャラリーがあてにしてくるということを聞きました。バブルの頃はとくにすごく芸大に来ていましたが、それは、まだ成熟した本人の絵じゃないと僕は思うんですよね。いろいろ指導者の意見が入っているわけだから、習作なんですよね。若い学生は社会の動向に左右されやすい者も多くいると思われるので、そういう作品に値段をつけて買っていくというマーケットのあり方は、あまりいい影響があるとは思えない。集中して作品制作させたいと思います。本人が作家としての資質をつくり上げる時期に、自己を見失うことになりかねないと思います。ここではマーケッティング市場と教育現場は必ずしも一致しません。ビジネスは大学を出てからの問題でアートマーケットの問題です。ただそういうことを学ぶセクションを大学の講座としてつくれば別ですし、私はアートマネージメントの講座が芸大にあってほしいと思っています。

ここでは学生本人に、絵を描いてつくり出していく充実感、創造 活動、あるいは深淵なところで美術っていうものの存在に触れさせていくことが、基礎教育の一つのあり方だと思う。そういうことがないと、ゲームみたいな手法のみの感覚になってしまう。歴史的な文脈と自身の精神性とがクロスする地点というのを探し出さないと、芸術の基礎はなかなか築けないはずです。 だから、大学の学部では、ビジネスなんてやってる場合じゃない、まずいい作品をつくりなさいというのが僕の考え方です。それに大学院になると、おのずとマーケットについて考える学生も多くなります。

さっき村上さんが、どういうものを目指すのかと聞かれましたが、それは個人の個性や資質の問題もあるから一概には言えないですね。様々な分野の技術や様々な表現手法の習作の中から、自分のコンセプトと手段を見つけ出していくわけです。教えたらできるっていうわけではないし、教えるっていうこと自体が、ある一つの間題点を持っている。

ーーーーー『村上隆完全読本』ーーーーー

 

ーーーーー『ザ・ノンフィクション ワケあり人生と部屋探し 〜無理とは言わない不動産屋〜』ーーーーー

生活保護の世帯はどうなんでしょう。」「ダメです。」

不動産屋に何件も問い合わせを続けるも、入居希望者が精神障害者かつ生活保護の受給者である旨を伝えると断られ続ける。

家賃の滞納や近隣とのトラブルを恐れる大家の不安もわからないではない。

「初めは怒りもあった。よくよく話を聞いてみれば、そういうことがあってもそれでも受け入れてくれというのは違うと思うし、それでも受け入れてくれというなら、私もそこまで面倒を見切れるの?そこまでの覚悟がないのに批判できない」

ーーーーー『ザ・ノンフィクション ワケあり人生と部屋探し 〜無理とは言わない不動産屋〜』ーーーーー

 

ーーーーー『みんなの現代アート』ーーーーー

子どもは誰もがアーティスト、というもの。そこに付け加えたいのは、私たちが成長する中でほぼ失ってしまう、自意識に捉われない創造の喜びを子どもは感じている、ということだ。私たちはかつてこの世界に疑問を抱くことなく遊び、描き、何かをつくっていたはずだが、歳をとって美術史を知り、自分がつくっているものは出来が悪いかもしれないと思いはじめると、何かをつくることがどんどん難しくなってしまう。

笑えるが、「アートプロジェクト」という言葉が無意味で下手な素人芸の代名詞となってしまったことが哀しい。

とても有名な、優れた写真家であるマーティン・パーに、他の写真と区別するためのアート写真の定義を教えてくれないか尋ねたことがある。 「高さ二メートル以上、価格が五桁以上であること、かな」と彼は即答した。

一九九〇年代、開催される展覧会の半分は写真展のように思えたが、どうやって写真がアートであるとわかるのだろうか。一九九〇年代、その写真がアートであると見分ける基準は、写っている人が誰も笑っていないこと、あるいは芝居がかった態度が目に付くことだった。しかしその写真がアートであるとわかる一番の方法は、巨大さだ。サイズによって、スナップや報道写真ではなく、絵画のような存在感を得たのだ。

最も侮辱的な言葉は、「装飾的」であるということになる。

しかし、装飾的であることはとても素晴らしいことだ。そしてアートに喜びがないという考えは間違っている。レフ・トルストイは「アートを正しく定義するためには、まず前提としてそれが喜びを提供するものであるという考えを捨てて、人間が生存するための条件のひとつであると認識すべきだ」と言った。レフがビデオアートをたくさん見てきたとは思えないが、彼が言いたかったのは、ビデオアートの展示室内で永遠に立ち続けること、あるいは設置された座り心地が悪いだけの美しいベンチに座らなければならないこと、かもしれない。ビデオアーティストのクリスチャン・マークレーが、《The Clock》 「映画やテレビ番組などで時計が映ったシーンを切り取り、二四時間分コラージュした映像作品。映される時計の時間は実際の時間と同期するように編集がなされている」という最高に気の利いた見事な作品をつくっている。これはビデオアートの傑作なので機会があればぜひ観ることをお勧めするが、彼がちゃんとソファを用意していたことも好意的なレビューにつながっていたのかもしれない。

「ええ、政治が大好きなもので。政治的で最高だね。うん、こういうことはしっかり伝えないと。でもゴミみたいなアートだ」とか「最高に面白かった。でもゴミみたいなアートだから」などと言いたくなる類のもの。つまり、アートギャラリーの文脈にあるかどうかというのは良い問いではあるものの、それだけでは役に立たない。

私が働く場所は文化の採掘場そのもの

ーーーーー『みんなの現代アート』ーーーーー

 

ーーーーー『東京都美術館ものがたり』ーーーーー

授業だけでなく、サッカー部や芸術祭など課外活動にのめりこんでいました。気の合った仲間同士で、教室を改装して展覧会やパーティを開催していたら、いつの間にか教員や後輩たちのたまり場になりました。作品を制作するアトリエという機能だけでなく、みんなが 話をするサロンですね。作品は個人で制作するものですが、制作途中をいろいろな人に見られる、見せる、見てもらえるというなかで、自分らしさを探っていくことができました。

ーーーーー『東京都美術館ものがたり』ーーーーー

 

ーーーーー『「皮肉」と「嫌味」の心理学』ーーーーー

パロディが パロディとして成立するのは、「オリジナルの作品が風刺されている」と受け取り手に気づいてもらえた ときだけです。

ーーーーー『「皮肉」と「嫌味」の心理学』ーーーーー

 

2022年4月 主に読んだ本

Tarzan特別編集 決定版 自律神経を整える。

ひとさし指のノクターン車いすの高校生と東京藝大の挑戦〜

1万人抱いてわかった! モテる男39の法則

ほら起きて! 目醒まし時計が鳴ってるよ

蜜室 ビューティ・ヘア

BLUE 山本直樹

偏差値78のAV男優が考える セックス幸福論

<喧嘩とセックス> 夫婦のお作法

週刊文春 2022年 5/5・12合併号

恋愛心理学特論: 恋愛する青年 / しない青年の読み解き方

「ぴえん」という病 SNS世代の消費と承認

週刊女性自身 2022年 4/26 号

SHIMIKEN's BEST SEX 最高のセックス集中講義

商店建築 2021年3月号 ストリートカルチャー新時代のショップデザイン

商店建築 2021年8月号 ストレスから離れて心身を“整える"空間 / 「つくる」を伝える地域拠点

商店建築 2021年9月号 大特集 / ますます、公園が面白い!

商店建築 2021年12月号 「石」の力 / 心を豊かに元気づける「フラワー&グリーン」

まるごと東京ステーションギャラリー

聖徳記念絵画館オフィシャルガイド : 幕末・明治を一望する

東京都美術館ものがたり - ニッポン・アート史ダイジェスト

みんなの現代アート - 大衆に媚を売る方法、あるいはアートがアートであるために

眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学

情景王 - 山田卓司作品集

山田卓司作品集 情景王 第二集

RM MODELS 2022年7月号 Vol.322

商店建築 2022年5月号 自由な「ラウンジ」を設計しよう!

落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ

週刊アスキーNo.1385 (2022年5月3日発行)

mina 2022年 07月号

美的 2022年 7月号

芸術する人びとをつくる -美大生の社会学-

東京「街角」地質学

家電製品がわかる〈1〉アインシュタインの冷蔵庫 (化学のはたらきシリーズ)

食べることと出すこと (シリーズ ケアをひらく)

はじめての絵画の歴史 - 「見る」「描く」「撮る」のひみつ-

ウルトラマンシリーズ 大解剖 ウルトラQウルトラマンウルトラセブン

 

印象に残ったスナップ写真

2月22日の気づきに気づくこと

『解体と施工 / 無くすということでできること』という課題が終了しました。

ふたつのアトリエを隔てる壁を解体し、可動式の壁を制作します。加えて、コンクリートの壁面にもビスを打てるようにベニヤを重ねたり、床面の再塗装なども行いました。

 

 

リノベーションしたあとの新品のようなアトリエに初めて作品を飾る。それにふさわしい作品とは何か。僕は施工前のアトリエの床を撮影し、アトリエの図面に床の写真を合成してカーペットにしました。工事現場の足場に掛かっている横断幕と同じ素材にすることで、ここで工事が行われていたのだと匂わせています。

 

 

この課題を出題した2名の教授から批評を頂きました。当初は作品をアトリエ内(ガラスを隔てた反対側の空間)に設置していましたが、先生は口を揃えて、作品の位置が最適ではないとおっしゃいました。試行を経て、作品は写真のようにアトリエの外に置きました。

 

 

アトリエには中二階があるため、新品のアトリエと作品(図面かつ古い床の様子)を比較しながら見ることが出来ます。

 

ーーーーー

 

ある教授の先生(油画専攻)と面談をしました。

その先生と出会って、僕の制作の視点は明らかに変化しました。そのときに描いたドローイングが以下です。3ヶ月経ったいま、ほとんどが理想のままで、実行に移すことが出来ていません。

 

以下、僕に必要なこと。

・旅をあと2, 3回は続ける。

・空間にある情報にもっと気づく。

・もっと大きなフレーム(概念と作品サイズ)を扱う。

・その“場”からすぐに離れずに、もっと留まる。作品の完成後も留まる。

・80点までは効率よくすぐ出来るけど、その先は無駄なこともしなければならない。

・美術やアートに頼りすぎず、作りたいもの、知りたいことにフォーカスする。

・せっかちさをプラスに至るように育てる。

 

かつては、社会的に何かを伝えたいという名目のもとに、どうやったら伝えられるかと逆算をしてものを作っていた。フレームから逆算して考えたコンセプトは、必ずしもやりたいことではなかった。

いまは、自分のやりたいことをやる期間として、自分のやりたいことに注視をしている。実感の感じられる、本当に楽しいことを。自分のやりたいことを見つけるための作品を。それは、脱皮した皮、残滓のようなもの。

セルフ・モニタリング 2022年4月

第1週

東京国立博物館で『空也上人と六波羅蜜寺』、東京都美術館で『ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展』、国立科学博物館で『宝石 地球がうみだすキセキ』を鑑賞した。

東博の展示は小規模かつ来場者もまばらで、とても見やすかった。意外なことに、空也にまつわる説明…例えば技術的な特徴などについて解説は記されていなかった。都美館の目玉の展示は、修復によって(絵の中では)壁面だと思われていた箇所から絵柄が出てきた、フェルメールの作品だった。修繕前の作品の複製画(印刷ではなく油彩)と並べて展示されており、見応えがあった。科博の展示は大盛況を誇っており、要点のみの鑑賞となった。時代を遡れば、一部の階級のひとたちは、純金に宝石をあしらった太い指輪を指に嵌めていたんだな…と金(きん)の扱い方に時代性を感じた。

 

映画『偶然と想像』を鑑賞した。

高座で古今亭文菊師匠が上記の映画を勧めていたため、鑑賞した。古典落語を得意としている文菊師匠に、新作落語をやってみたいかも…と思わせた映画とのことだった。3本の会話劇からなるオムニバスで、会話のリアルな質感を感じられる箇所、むしろお互いに演じきっている箇所と、緩急のある会話劇だった。特に、演者の服装や髪型などのスタイリングが役柄にマッチしており、俳優と演じているキャラクターを切り分けて想像が出来ない。俳優の日常はいつも、映画の中のこのキャラクターと同一なのではないかと思わせるほどだった。

 

大学の課題のために肖像 (ヌード)を撮影した。

 

第2週

同窓会の業務に従事。

 

東京藝術大学大学美術館 陳列館で『ヴァーチャル・ボディ:メディアにおける存在と不在』を鑑賞した。

全体としてはメディアの登場を技術決定論と結びつけており、社会構成主義に向けられた視点は感じられなかった。

 

第3週

東京藝術大学大学美術館で『藝大コレクション展 2022 春の名品探訪 天平の誘惑』を鑑賞した。せんとくんの一連のシリーズが芸大の彫刻科の教授の作品であることを知った。会場にはせんとくんファミリーである⿅坊が展示されており、木や漆、布で構成された実に美しい彫刻だった。

 

SCAI THE BATHHOUSEで『遠藤利克』を鑑賞した。

私の考える、最高レベルの現代アートだった。特に質感や空間を見通す力、構成力から、非常に高い技術力をうかがえた。

 

根津神社で『文京つつじまつり』を鑑賞した。

 

第4週

東京都美術館で『スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち』を鑑賞した。

 

東京都庭園美術館で『アール・デコの貴重書展』、サントリー美術館で『大英博物館 北斎 国内の肉筆画の名品とともに』、21_21 DESIGN SIGHTで『ロイヤル オーク 時を刻んだ50年』、森美術館で『Chim↑Pom展:ハッピースプリング』を鑑賞した。

 

2022年4月 時点での目標

・人生における目標…誰も取り残さない姿勢

・制作における目標ごっこ、陳腐、軽率とならない制作

 

制作の周辺で気づいたこと

主に広告をつくってきました。人の魅力やパワーを最大化することに非常に興味があります。人が、今まで見たことがないくらい美しく輝いているとか、いつもの10倍笑っているとか、人間が最大化される瞬間ってあるんですよ。そこには企画とか演出とか表現、デザインというものが重要な役割を果たす。アウトプットとして、それが結果として、CMだったり、ポスターだったり、イベントだったり、番組だったり、場だったり、形は様々ですが、僕にとっては全て「広告」なんですよね。人と会って、ものをつくっていないと、自分のいろんなものが一気に鈍るだろうなと思います。( 教員インタビュー:箭内道彦 | 東京藝術大学デザイン科 )

感動を分かち合う喜びを感じること、新しい可能性との出会い=創造( 障がいとアーツの授業を受けて )

・データ出されるの大嫌い。データは私の直感や欲望に敬意を払ってくれないから。( https://anond.hatelabo.jp/20220508104059 )

・『近江商人三方よし』売り手によし、買い手によし、世間によし。物質より体験にお金を払うことが多い。体験をデザインする。値段相応のものは買うときに理屈があり、価格帯の高いものは買うときの気持ちよさや感覚重視。雑学や知識のひけらかしも、誰かのためになる。田舎の人口が減り、中国資本が神社や海産物を買い占め、市場価格が価格が高騰する。( 近江商人と三方よし|伊藤忠商事株式会社 )

・生涯を通して、アート系のプロジェクトに携わり続けることが僕の幸せか。(宮本武典の講義を受けて)

・僕は、自分自身や作品が売れることが最終目的ではない。自分が手を捻るようにして扱うことの出来る美術を活用して、より多くのひとが美術や美術館を好きになり、自分の“好き”に自信を持ち、日本の文化財が適切に保管されることを望む。そのために、僕の持つ影響力の可能性をなるべく高めるように工夫を凝らし、美術を発信していきたい。

SNSは勝手にバズるのでなく、投稿者がユーザーを迎えに行っている。

・大きな画集に実物大の作品写真を入れる / 実物をページに貼ってしまう / 印刷ではない実物が気になるように仕向ける / 実物と画集で部屋を分ける / 実物の作品を奥の部屋へ設定し、手前の部屋でまた画集に戻れるように / 大きなモニターやプロジェクタの映像よりも、画集の物質感がいい

 

気になった書籍からの引用

私が作品を制作するにあたって、読書は欠かせないものである。作者が自分自身の持っているスタンスやイデオロギーの偏りに気付かぬまま生み出された作品を、僕は好まない。表現したい何かを見つけたとき、僕は自分自身の生み出す作品によって、鑑賞者を適切な方向性に導きたいと考えている。そのためにはあらゆる鑑賞者、ひいては社会をつぶさに見つめる観察眼が必要だ。その観察眼のくもりを少しでも晴らすために、今日も読書をする。

僕がどのような本を読み、どのような文から学びを得たと感じたのか、それを記録し共有することの目的は以下である。僕の作品がひとりでに歩み始め、僕の作品やその背景に居る僕をもっと知りたいと思う鑑賞者が現れたときに、彼らがストレスなく容易に僕の思想に触れる手段として、私の読んだ本の引用の羅列が最適と考えたからだ。僕の思想は読書によって得た知識の含有量が最も多く占めている。この“最適”はアップデートを前提としているので、未熟であることをご容赦いただきたい。

 

ーーーーー『セックス幸福論』ーーーーー

からしたら、自分が知っている息子はAV男優という仕事を選ぶような人間と思いたくはないでしょうし、逆にそれを選んだということは、自分たちはそういう選択をするような人間に息子を育てたと考えてしまうのでしょう。むしろ、他人に強制されてその仕事をせざるをえなくなっているのなら、息子自体に変わりはないし、自分たちの教育方針は間違っていなかったと思えるから、そっちであるほうがまだ救われたのかもしれません。

 

「そんなのわからないよ。ただその瞬間は、心の底から相手のことを愛しいと思ってた」

「愛されている、ってほうじゃなくて?」

「うん、愛おしいってほう。この人に会えて良かったって。好きになれて良かったって。そしたら涙が溢れてた。抱きしめられて、キスして、好きって言ったら動かないのにイッちゃった」

 

そこには承認欲求を満たすものがあるわけではありません。自分が自分で良かったとか、自分には生きている価値があるんだと感じることが目的ではなく、こんなに愛おしく思える相手に出会えて生まれてきて良かった、この瞬間のために今まで生きてきたと結果的に感動しているのです。ここで幸せが生み出されています。

ーーーーー『セックス幸福論』ーーーーー

 

ーーーーー『眠れなくなるほど面白い社会心理学』ーーーーー

誤った集団決定を行わない方法として「悪魔の擁護者」というものがあります。これは、決められたメンバーのひとりが、役割としてあえて反対意見を述べるというもので、そうすることで他の人も遠慮なく意見を言えるようになり、より慎重な決定ができるわけです。

 

①ウェブ版の年間購読・・・・・価格5ドル

②印刷版の年間購読・・・・・価格125ドル

③ ウェブ版+印刷版の年間購読・・・・・価格125ドル

結果は①が16人、②は0人、③が3人で、③のウェブ版+印刷版を選ぶ人が圧倒的でした。

実際、同じ学生に②の選択肢を省いた2択で回答してもらったところ、①を選んだ学生は66人、③を選ん だ学生は3人と、おとりがあったときとはまったく違う結果となりました。 

ーーーーー『眠れなくなるほど面白い社会心理学』ーーーーー

 

ーーーーー『恋愛心理学特論』ーーーーー

“青年期の恋愛はエネルギーの奪い合いである"という捉え方に立てば、青年期の恋愛の目的はアイデンティティ形成のための精神活動のエネルギーを恋人から得ることであり、恋人は最大のエネルギー供給源である。そのようなエネルギー供給源をもっているにもかかわらず、浮気をする理由はただひとつ、恋人がエネルギー供給源となっていないからである。恋人が愛や賞賛の言葉をかけてくれない、自分のことを気にかけてくれないなど、恋人からエネルギーをもらえている実感がもてない時、近くにエネルギーをもっている(と思われる)異性をみると、つい近づいてしまうのである。それでも、恋人はいずれエネルギーを供給してくれるかもしれないし、また浮気相手と恋愛関係になれるかどうかもわからないため、恋人とは別れずに、浮気関係を継続してしまうのである。

 

一方、先ほど述べたように、アイデンティティが確立している30代以降の男性について 恋人(あるいは配偶者)がエネルギーをくれないから浮気をすると理解するのは、無理がある。30代以降の男性は、アイデンティティが確立し、仕事もある程度自分のやり方ができ、慣れもある。夫婦関係も10年、20年と続き、子どもも大きくなり、手がかからなくなっている。良い意味で、安定した日々を過ごしているため、エネルギーはあり余っているのである。そのような余ったエネルギーを趣味などに活用できている場合は良いが、そのような趣味もない場合、エネルギーの不十分な異性に自分のエネルギーを与えようとして、浮気をするのである。

ーーーーー『恋愛心理学特論』ーーーーー

 

ーーーーー『恋ごころの科学』ーーーーー

尊敬…彼(女)はふつうの人よりすぐれた判断をする。

相性…あなたと彼(女)はカップルとしてうまくやっている。 

愛他性…彼(女)に贈物をするのが好きだ

外見的魅力…彼(女)は平均以上に外見がいいと思う。

愛着…彼(女)と一緒にいると安心する。

ーーーーー『恋ごころの科学』ーーーーー

 

ーーーーー『モテる男 39の法則』ーーーーー

①髪型は、月に1回、美容室に行き、女性の美容師さんに、「さわやかにしてください。スタイリングも教えてください」と言いましょう。その際に、眉毛も一緒に整えてもらいましょう。

② 服装は、店員さんに「さわやかコーデを教えてください」と伝えましょう。自分で選んではダメです。

③肌は、高いエステに行かなくても、運動と、保湿と、水をよくとるようにすればおのずときれいになっていきます。

④歯は、2ヵ月に1回、歯医者に行って着色を取りましょう!

⑥爪は、切るだけでなく、爪ヤスリで角を取ってください。女性は男性の体をとてもよく見ています。これは女性の体のなかに入ってくるのがペニスと手だからです。なので、女性にとって、手というのはペニスと同じなんですね。

⑥ムダ毛は剃るのではなく、脱毛するといいでしょう。まずはヒゲをオススメしますが、予算があるようでしたら、全身脱毛をすると、生まれ変わったような気持ちになります。これは、やらないとわからない世界です。

⑦言葉づかいにも気をつけたいところです。清潔と不潔は、何も見た目だけではありません。言葉づかいにも表れますので、意識するだけでも全然違いますよ。

 

「笑顔と上機嫌は大人のマナー」

「会いたかった」をキラーワードに

ーーーーー『モテる男 39の法則』ーーーーー

 

ーーーーー『三島由紀夫レター教室』ーーーーー

第一、感情で脅迫状を書くというのはプロのやることではありません。卑劣に徹し、下賤に徹し、冷血に徹し、人間からズリ落ちた人間のやる仕事ですから、こちらの血がさわいでいては、脅迫状など書けません。

便せんをすかしてみて、そこに少しでも人間の血の色がすいて見えるようでは、脅迫状は落第なのです。

ーーーーー『三島由紀夫レター教室』ーーーーー

 

ーーーーー『相手の気持ちをきちんと〈聞く〉技術』ーーーーー

「聴く」を妨げる六つの態度 

①先入観のある対応

あなたが「この人はどうせこうだから」と思っていると、相手の今の思いが聞けなくなります。 相手はいつもと違っているかもしれません。

②無関心な対応

相手に関心がないとき、相手の思いを軽視・ 無視して、的外れな反応をしたりするでしょう。 

③自分の話したいことや興味を優先する

あなたが自分の世界にいると、相手の話は上の空で話のポイントに反応できなくなったり、相手の話をさえぎったりすることになります。

④正解思考 / 議論のような対応

「それは、あなたが間違っている」「正しいのはこうだ」という構えでは、つねに正しいか正しくないかで相手の思いを聞くことになります。 

⑤ 「違い」を「間違い」と判断する

相手が間違っていると思ったときに、「いや、そうじゃないんだよ」とすぐに言いたくなる人がいます。しかし、多くの場合は「間違い」ではなく「考え方の違い」です。

⑥ アドバイス志向

上司も親も、親切な人ほどアドバイス志向になりがちです。相手は話をしたいだけなのに、助けを求めていると思い込み、アドバイスをしてしまいます。親身に聞いているようでありながら、ポイントをはずしてしまうのです。

 

「なぜ」「どうして」は禁句

「なぜ」「どうして」 が口癖の人がいます。 たとえば、夫に対して「なぜ、約束の時間に帰ってこないの?」、妻に対して 「どうして、電気をつけっぱなしにしてるの?」、子どもに対して「どうして、忘れ物をするの?」。

こうした「なぜ」「どうして」 は、純粋な疑問なのかといえばそうではありません。

 

非難を含んだ言葉

「なぜ○○なの?」というのが、理由を聞いているのではなく非難になることがあります。英語でも 「Why」は注意して使います。

「なぜ?」には、「あなたの理由はおかしい」というニュアンスが含まれやすいからです。

初めから「理由なんかないはずだ」という感じで「なぜ」と言っているわけです。

言われたほうも、非難されたと感じるので、ついきつい言葉で返してしまい、口げんかになってしまうことがあります。

 

「どんなふうにして」と訊く

カウンセリングにおいては、クライエントに対して「どうしてそうしたの?」とは滅多に訊きません。

理由を訊くときには、

「何か理由があったの?」

「どんなふうにしてそうなったの?」

などと言います。

理由を訊こうとしていることは同じですが、「なぜ」「どうして」という言葉を使わないのは、 それが責めているように聞こえる可能性があるからです。

ーーーーー『相手の気持ちをきちんと〈聞く〉技術』ーーーーー

 

ーーーーー『制服少女たちの選択』ーーーーー

ここに「女子高生」という性的なブランドの本質の一端があきらかになっている。いわば 「性的なのに、性的であってはいけない身体」という、明治三十年代以来の「近代学校教育」 的なタテマエ(清く正しく美しく!)のなかに安らいでいるという前提があってこそ、「女子高生」が性的ブランドとして意味あるものになっているということである。わかりやすくいえば、性からの隔離ゆえに生じる「落差」が、性的コミュニケーションの世界に「女子高生ブランド」をもち込むことになっているのだ。

ーーーーー『制服少女たちの選択』ーーーーー

 

ーーーーー『シェアしたがる心理』ーーーーー

「こういう体験がしたい」ということに加えて、「こういう体験をしている自分でありたい」という点にまで及ぶユーザー側の ニーズや承認欲求がビジュアルのレベルで定着していったものこそ、ここで議論を重ねてシミュラークルというもののコアをなすものだ。

ーーーーー『シェアしたがる心理』ーーーーー

 

ーーーーー『国民のための戦争と平和』ーーーーー

日本もそうだ。日本は、戦争なしで、当時の満洲や中国での利権を放棄する用意はなかった。当たり前のことだ。敗戦によって強制的に放棄させられた。死闘の後だから、あきらめもついたのだ。完全にあきらめさせられたために、戦後まったく別の大戦略に転換できた。そして高度成長を達成し、自由貿易の利益をほとんど独占的に享受できるという幸運に恵まれたのだ。

 

日本人は自然が好きだ。自然を愛好し、人工は忌むべきものと考える。しかし、この表現をぎりぎり詰めてゆくと大変なことになる。文明の否定につながりかねない。「人工」こそ文明の核心である。これを大真面目で排斥するなど、正気の沙汰ではない。近代人は、もはや自然に戻るわけにはいかないのだ。

日本人が「自然」を愛するという時、それは、自然そのものではない。日本人が愛しているのは、自然の「風情」であって、自然ではない。自然に加工して文明の所産を作り上げるが、その際はなるべく自然の風情を残そうというだけのことだ。

なんのかんのと言っても、やはり文明の果実は欲しい。テレビも車も飛行機も欲しくてたまらない。立派な政府だって欲しいだろう。

昔から、わが国には「手入れ」といういい言葉があるではないか。わが家の庭を自然のまま放置して、草ぼうぼうというのは、やはり具合が悪い。 近所から〜を言われる。ちゃんと手入れはするが、自然の風情は残すスタイルにする。

つまり、自然の愛好とは、所詮「趣味」の次元の問題にすぎない。

 

①国際社会には、必ず紛争がある。

②紛争は解決されねばならない。

③戦争は、そのような国際紛争を解決するためのつの手段である。 

④ しかも、それは最終手段である。

⑤戦争と比べて、より合理的で、より実効的な国際紛争解決の手段は、まだ考案されていない。

⑥もし、それが考案されれば、戦争という手段は自然に消滅するだろう。それ以外に戦争をなくす方策があるはずがない。

 

国連を見るには、四つのポイントがある。

国連憲章は戦争を否定していない。

②国連は建て前としてユニバーサルな機関ではない。

③ 国連は、第二次大戦後の現状維持の執行機関である。 

④国連は、各加盟国が一般的な政治的了解を相互に模索する場である。

ーーーーー『国民のための戦争と平和』ーーーーー

 

ーーーーー『説得力』ーーーーー

“人を意のままに動かす力"に向かう第歩は、あなたの求めるものはすべて“他人”が持っている、ということに気づくことである。

お金がほしい。よろしい。しかし、どうやって手に入れたらいいのか。 道はただ一つ、他人から手に入れるのだ。あなたの売る品物、提供するサービス、労働に金を払ってくれるのは、他人なのだ。 だから、もっと金がほしければ、金を持っている人にもっと働きかける力がいる。

 

彼は恥ずかしそうに笑って、「それはぼくが、さよならを言って帰る時、いつも玄関の前に立って、ぼくの姿が見えなくなるまで見送ってくれるからです」「それがうれしいのかい?」

シャーリーがどんな子かは知らないが、「自分は必要な人間なんだ」という気持ちになりたいという人間の絶えざる望みを、ちょっとでも満たしてくれる心遣いによって、彼女は自分を説得力のある人間にしたのである。

 

「ぼくが必要なんだという気持ちにさせてくれるからです。ぼくが大事だから、あの子は最後の最後まで別れたくないのです。つまり、ぼくがシャーリーを特別好きなのは、ぼくがあの子にとって特別な存在だという気持ちにさせてくれるからです」

 

われわれは、まず第に自分のことを考える。自分の世話がみられるようになって、はじめて他人のことを考える余裕が出てくる。

 

相手の自己評価に売り込むことです。これが常に忘れてはならないことです。これは別に、おべっかを使えとか、そんな薄っぺらなことじゃない。相手が夢に描いている人物像にふさわしくなるように、手を貸してやるだけの話です。だれでも自分を向上させる能力には、ちょっと自信がない。そこで、自分もまんざら捨てたものじゃないと、相手に確信させてやることで、あなたは彼に目をかけられ、耳を傾けさせられるのです。

 

愛は、相手の存在に対する喜びであり、自分自身の価値や成長を確信するのと同様に、相手の価値や成長を確信することである。かくて愛には、常に二つの要因がある――相手の価値と善意、および相手とのつながりにたいする自分自身の喜びと幸福である。

 

恐怖はいろいろな形であらわれる。うるさ型は自分が非難されるのがこわさに、しばしば先に相手をやっつける。優柔不断な人間は判断の結果が恐ろしくて決心がつかない。何人もの男に追いまわされたと吹聴する女は、問わず語りに、一人も追ってくれる者がいないということをほのめかしている。いわゆるなまけ者は、失敗がこわくて、成功してみようという気も起こらない。他人の不道徳に目くじらを立てる人間は、自分はあんないい思いをできないという恐怖の混ざった嫉妬を暴露している。

 

ここで、あなたが驚くかも知れない人間性に関する真理について話したい。 これはまた、あなたが人に会う時、いつでも雰囲気をつくりあげコントロールできる信じがたい力を提供してくれる。驚くべき事実とはこうだ。人は、ある事態に、どんな雰囲気がふさわしいか知らないことがよくある。したがって、じっと待って、他の連中がどんな行動をし、反応しているかを見る。 それから、 “適当で自然“と思われるものに従う。数日前私はパーティーに招待された。 仕事があったので着いたのは一時間遅かった。ドアに向かいながら私はパーティーらしくにぎやかな有様を期待していた。ところが驚いたことに、まるでお祈りの最中だった。みんな部屋の隅に寄り集まって、いらいら、まごまごしながらひそひそ声で話しているみんなだれかが生き生きしたムードをつくってくれるのを待っている。 (そうすればみなそれにならうつもりだ。)私はこの座を持たすには爆弾でも投げ込まな くてはという気になった。

 

あなたには、自分自身の人生を送るか、それとも他人に左右されるかの二つの道しかない。自分自身の人生を送れば送るほど、他人に対して働く力が強くなる。自分自身の活動を決定するのに優柔不断であればあるほど、人に対する影響力は弱くなる。ただそれだけのことにすぎない。

ーーーーー『説得力』ーーーーー

 

ーーーーー『大学生が出会うリスクとセルフマネジメント』ーーーーー

モラトリアム地位 : 現在、幾つかの選択肢を前にあれかこれかと迷っている(=危機)、従って何に対して注力していいかまだはっきりしない(=コミッ ト)状態です。 つまり 「危機を現在進行形で体験、積極的関与は曖昧」ということです。

 

上記のとおり、「人格」 の中心にあるのは「自由」です。人間は、誰もが「自由」です。ただ、「自由」 であるということは、どんなことでもやって良い、ということではありません。人権宣言の第4条には、「自由とは、他人を害しない限りは何をしてもよい、ということにある」と定められています。「自由」 といえども、無限界ではありえません。「社会の他の構成員たちにも同様な諸権利の享受を確保するために設けられる諸限界による制限は甘受しなければなりません(同第4条参照)。 そもそも、「自由」という言葉には、それ自体として、一定の限界を受けているという意味が含まれているのです。「自由の意味をはき違えている」という表現がなされることがありますが、多くの場合、「自由」という言葉の本当の意味を理解していない、より具体的には、上記のような制限が存在していることをわきまえず、どんなことでもやって良いと誤解している、という意味で用いられています。

 

美しさは何によって決まるのでしょう。ひとつは姿勢や表情です。美しさを作るのは個々のパーツではなく全体です。姿勢だけでも全体の見た目は変わります。 背中を丸めていたのが、背筋を伸ばしただけで全然印象が違ってきます。人に会ったときに、きちんとした姿勢をしているか、いい表情をしているかが重要になるのです。次にバランスです。同じくらいの身長と体重の二人を並べても、全然感じが違うということがよくあります。同じ身長と体重でも、脂肪や筋肉の量のバランスで見え方が違ってきます。骨、筋肉、脂肪、皮膚、それら全体のプロポーションが美をつくっています。化粧品も大事ですが、メイクが映える肌を作ることも考えてください。毎日食べるものを粗末にして上辺を飾っても、それは美とは縁のないものです。

 

怒りが溜まりに溜まると自分の身体や心を壊してしまうことがあります。身体や心を損なう前に、感情はできるだけそのときに表現したほうがいいでしょう。

感情はすべて自分のもので、表現をしていいのです。 どんな感情は伝えてよく、どんな感情はいけないということはありません。喜怒哀楽どれも伝えていいのです。とはいえ、日本の文化の中では、怒りを表現するのは難しいと感じられるかと思います。怒りを表現するのは攻撃的になることとは違います。

先ほど、怒りの感情の表現は攻撃的とは違うと言いました。ただ、攻撃的になってしまう場合があります。それは、自分が怒っているのは相手のせいだとか、相手に責任をとれという言い方をするときです。私たちは、相手の言動とや出来事が原因で、その結果、自分の反応として言動があったり、感情があったり、事態がある、と考えがちです。怒りや悲しみなど、あまり感じていたくない感情をもったり、悪い結果が生じたりしたのは、原因のせいだ、相手のせいだと考えてしまうことが多いのではないでしょうか。でも、同じことを言われたり、同じ出来事に遭ったりしたときに、すべての人が同じ反応をするかというと、そうではありません。 例えば、「あなたって自己中心的だよね」と言われてとても傷ついて、人と接するのが怖くなってしまうとします。でも、他の人が同じ言葉を言われたら、「えっ、そんなことないよ」 と思うかもしれません。あるいは、「ああ、あなたはそう思うのね。それで、どうしてそう思ったのかもう少し理由を説明してくれる?」と言うかもしれません。あるいは、全然気にしないで笑って流すかもしれませんし、怒り出すかもしれません。他の人に「あの人、こんなこと言ったのよ、ひどくない?」と言いふらすかもしれません。同じことが起きても、人の反応はいろいろです。

 

そういう自分の受け止め方によって、起きてくることが違うならばその責任は相手が取るべきものではないということです。自分の感情は自分のもので、自分の感情の責任は自分でとることができ、自分でとるものです。自分の感情はどんな感情でも、自分の感情として相手に率直に伝えていいのです。怒りを感じたとき、相手に「怒らされた」のではなくて、自分が「怒った」のだと言ってよいのです。感情は表現しないと消えません。自分の感情を自分のものとしてどうにかしようとする時に、表現するのは重要なことです。ただし、この不快な気持ちをどうにかしようというときに相手に協力を求め ることはできます。自分の怒りの感情を何とか自分なりに収めたいと思い、それに有効なのは相手に、「あなたに謝ってほしい」ということかもしれませんし、「今後そういうことを言わないでほしい」ということかもしれません。あるいは、「お互いの言い分をきちんと話し合おう」ということかもしれません。相手に「何とかしろ」と言うことはできませんが、協力を求めることはできます。

逆に、相手が怒ったときはどうでしょう。 「自分が怒らせちゃった」「私のせいだ」ということではありません。立場を逆にしても同じことで、相手の感情はその人のもので、その人が自分で責任をとるべきものです。それに対して、相手の怒りを収めるために協力してあげてもいいと思ったら、謝るなり、もうしないねと言うなり、話し合うなりしてもよいのです。

肝心なのは、自分と相手の感情の境目を混ぜないことです。自分のものは自分のもの、相手のものは相手のもので、それぞれ尊重をするということと、相手に「怒らされた」「気を遣わされた」「傷つけられた」など、そういう言葉遣いに示されるような、お互いの気持ちが入り込んだ関係の捉え方はやめましょうという提案です。

ーーーーー『大学生が出会うリスクとセルフマネジメント』ーーーーー

 

ーーーーー『「現代写真」の系譜』ーーーーー

さて、話を戻しましょう。ドラクロワはこのダゲレオタイプをさまざまに試した結果、絵画との違いを次のように語ります。

ダゲレオタイプ(写真)は目の前の事物を機械的に忠実に再現するという性質をもつけれども、それは付随的な細部を省略することなく、主要なものと同じように再現してしまうということでもある。このことは、こと芸術という観点からすれば欠点以外の何ものでもない。なぜならば、芸術とは、作者の内なる精神にしたがって作者自らが操作し主要なものと付随的なものという秩序を与えて、作者の内なる精神が見る者の内なる精神に話しかけるようにするものであるのだから。

ーーーーー『「現代写真」の系譜』ーーーーー

 

ーーーーー『ネット社会の諸相』ーーーーー

磯野家とさくら家, そしてクレヨンしんちゃんの野原家の違いをみると, 「なぜ同じテレビなのに, それほど家族のなかでの利用のされ方や意味が異なるの 「だろうか」と不思議に思う人がいるかもしれない。 この疑問に対する回答はシンプルで, 技術が人の行動や文化を決定するわけではないということだ。 あくまで, 社会が先にあり, そのなかにすでに存在する価値観や必要性に沿った形で技術は, 社会に導入される。ゆえにそれぞれの技術は, 違った可能性を発揮しうるのである。前者のような考え方を「技術決定論」 とよび, 後者のような社会が先にありきの考え方を「社会構成主義」とよぶ。 技術の社会的インパクトを考える際には, この「社会構成主義」の考え方が重要になる。

では, どのような過程を経て, 技術は社会のなかに取り込まれていくのであ ろうか。 シルバーストーン(Silverstone, R.)ら(1992)は, 特に家族・家庭という 個別の文化をもつ集団のなかに技術が取り込まれていく過程を「家畜化(ドメスティケーション / Domestication)」というコンセプトを用いてモデル化した。シルバーストーンらによれば, 技術の家畜化には4つの段階がある。 

ーーーーー『ネット社会の諸相』ーーーーー

 

ーーーーー『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか』ーーーー

人間の欲求を、最も低位の「生存の欲求」から、最も上位の「自己実現欲求」の5段階に分類できるという考え方、いわゆる「欲求5段階説」を提唱したのはエイブラハム・マズローでした。この枠組みで考えれば、経済成長に伴う生活水準の上昇によって、商品やサービスに求められる便益は、「安全で快適な暮らしをしたい=安全欲求」を満たすものから、徐々に「集団に属したい=帰属欲求」へ、さらに「他者から認められたい=承認欲求」へと進むことになり、最終的には「自分らしい生き方を実現したい=自己実現欲求」ヘと進展することになります。

先進国における消費行動が「自己表現のための記号の発信」に他ならないことを明確に指摘したのはフランスの思想家であるジャン・ボードリヤールでしたが、この指摘はもはや先進国においてだけでなく、多くの発展途上国にも当てはまるようになってきています。 ひっくるめて言えば、全ての消費ビジネスがファッション化しつつあるということです。このような世界においては、企業やリーダーの「美意識」の水準が、企業の競争力を大きく左右することになります。

 

「熱いロマン」よりも「冷たいソロバン」

ーーーーー『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか』ーーーー

 

ーーーーー『夢幻花』ーーーーー

シンクロニシティ。何か行動を起こそうとしたら、たまたまそれに関する出来事が自分の周りで起きるという現象だ。 心理学者のユングが提唱した概念だ」 梨乃は眉間に皺を寄せた。「何だか、急に難しいことをいいだした」

科学的に解説すると、こういうことだ。現実には、この程度の偶然は頻繁に起きている。 問題は、それに気づくか気づかないかだ。

ーーーーー『夢幻花』ーーーーー

 

ーーーーー『鉄道デザインの心』ーーーーー

サービススタッフはどんどん変わりますが、唯一変わらないのは車両という舞台だけなんです。 だから、これは絶対完成してなくちゃいけないって言うわけです、唐池さんは「これはお 客様が旅をするための30億円の額縁だ」って言ったわけですよ。すごいですよね。 感動します。「30億円かけて九州を見る、人生を顧みる額縁を造りました」って、素晴らしいでしょ。僕だって感動するんですから。 お、こいつはすごいって思いますよね。

ーーーーー『鉄道デザインの心』ーーーーー

 

ーーーーー『時間がない人が学び続けるための知的インプット術』ーーーーー

できるだけ早く寝て、翌朝頭がすっきりしている状態で勉強に取り組むほうがよほど効果があがります。

「朝1時間の知的作業は、夜の3時間に匹敵する」とよく言われますが、わたし自身の経験からも、これは決して誇張ではないように思います。

ーーーーー『時間がない人が学び続けるための知的インプット術』ーーーーー

 

ーーーーー『人望が集まる人の考え方』ーーーーー

人間関係に関するかぎり、相手の自尊心を傷つけることはご法度だ。 相手の人間としての尊厳を踏みにじったら、いずれいやな目にあわされる。人々は自尊心についてとてもデリケートで、自尊心を傷つけられると非常手段に訴えるおそれがあることを肝に銘じよう。

ーーーーー『人望が集まる人の考え方』ーーーーー

 

ーーーーー『コミュニケーション入門』ーーーーー

親子電話を使って個室に移動したりする。この電話コミュニケーションによるパーソナル化によって家族団欒の消滅が生じるようになる。 電話はまさに 「遠くにいるものを結び付け、近くにいるものを切り離す」 働きをする。

ーーーーー『コミュニケーション入門』ーーーーー

 

ーーーーー『「盛り」の誕生』ーーーーー

この例からもわかるように、女の子たちの「盛り」の基準には、大きく三つの技術分野が関与している。第一は、ブログのような、インターネット上のコミュニケーション技術。第二は、自分を撮影して加工する、デジタルカメラ技術やデジタル画像処理技術。 第三は、つけまつげやカラーコンタクトレンズなど生体を模倣するプラスチック成形技術。 この三つの技術分野を、私は「ソーシャルステージ」「セルフィーマシン」「プラスチックコスメ」と名付けて、併せて「シンデレラテクノロジー」と呼んでいる。

 

それまでは、その瞬間の「イケてる」格好を共有しているのは、コミュニティ内の人だけだったので、その格好をしているかどうかで、コミュニティ内の人かどうかを判断して いた。しかしストリート系雑誌が、コミュニティ内の人しか知らないはずの「イケてる」 の基準を、コミュニティの外の人にも伝えたので、外見だけを真似する人が出てきた。それにより、Bくんが「外見はイケてるのに、中身がイケてない子が増えていった」と言う状況になったわけである。

ーーーーー『「盛り」の誕生』ーーーーー

 

ーーーーー『基礎ゼミ メディアスタディーズ』ーーーーー

さまざまな機能やアプリを搭載したスマートフォンに、AIアシスタントを搭載したスマートスピーカー。 驚くべき速度で新たなメディアが日々生みだされています。 メディアを研究するということは、こういった新しいメディアや、それを成立させているテクノロジーを研究することでしょうか。 昨今、メディア系学部や社会学部のメディア系コースに限らず、さまざまな学部の学生 が 「メディア研究」に関心をもっています。 日常的に触れたり、身に着けたりしているメディアを研究対象に選ぶことはごく自然なことなのでしょう。 ここで「メディアに関心があります」 という学生たちが最初に考えたレポートの主題(問い)の一例を紹介しましょう。

「いまSNSに求められているものとは」 「YouTube はなぜ成功したのか」 「K-POPとJ-POPの違い」

いずれも、話題になっているメディアを取り上げており、なんとなく研究になりそうですが、見聞きするメディア産業界の発想に影響を受けており、学生自身と主題との関係は見えてきません。 それでは、メディア研究に意識的に取り組んだ後で、学生たちがまとめたものはどうでしょうか。

「ネット炎上のメカニズム2004年と2015年の事件を題材に」 「日本における障害者差別メディアが描く “美しい” 障害者像」 「隠される美容整形 日韓の広告の比較から」

これらのレポートでは、メディアの探究を通して何を知りたいのか、何を学びたいのかという「問い」 が芽生え、そのうえで何を対象にするのかが明確になってきています。「なぜメディアを研究するのか」をみずから問い直し、そこに「問い」を持つことで、「半径1メートル」の閉じた世界から越えることができるのです。

メディアを研究することとはメディアを対象とすることだけではなく、メディア研究という口から人間そのもの、 社会のさまざまな仕組みや問題に迫ろうとすることだと考えます。

 

現在、アニメやマンガなどのコンテンツを論じることをもってメディア研究ととらえる傾向も広くみられます。 でも、自分が好きなコンテンツについてその内容を紹介したら、メディアを研究することになるのでしょうか。 これらの多くに共通するのは、「好き」 (あるいは嫌いで終わってしまい、それを間いや社会的な背景と結びつけようとしていないことです。

ーーーーー『基礎ゼミ ソーシャルメディアスタディーズ』ーーーーー

 

2022年4月 主に読んだ本

ソーシャルメディアスタディー

鉄道デザインの心 水戸岡鋭治

無限花 東野圭吾

ネット社会の諸相

メディア・リテラシーを高めるための文章演習

みんなのユニバーサル文章術

よくわかるメディア・スタディー

函館本線 C62

ライティングの哲学

「現代写真」の系譜

美少女の美術史

自画像の告白

男子部屋の記録

大学生が出会うリスクとセルフマネジメント

誰も教えてくれない大人の性の作法

戦争論

三島由紀夫 レター教室

制服少女たちの選択

さあ、才能に目覚めよう

相手の気持ちをきちんと〈聞く〉技術

商店建築(オフィス・カフェ・ホテル)

GA JAPAN日本女子大学 妹島和世設計)

芸術新潮江口寿史長谷川町子・聖書・若冲・わいせつ・ヌード)

ガールズ・メディア・スタディー

マンガでわかる基礎生理学

シェアしたがる心理

国立大学・法人化の行方 自立と格差の狭間で

国民のための戦争と平和 小室直樹

非モテ」から始める男性学

Googleとの戦い 文化の多様性を守るために

説得力 心を一瞬でつかむ

美術手帳(Chim↑Pom

版画芸術(吉岡俊直)

新建築(パブリックデザイン・集合住宅・最新プロジェクト)

「皮肉」と「嫌味」の心理学

AV男優という職業

 

印象に残ったスナップ写真

 

芸術家になった日

新年度に突入し、最初は2週間の短期の課題が与えられました。

課題のタイトルは『本気の挑戦及び意識の変容』。

出題した教授3名の説明を噛み砕けば、受験のときに培った絵画技法によって確実にコントロールできる絵画を生み出すのではなく、不確実なことに挑戦して次の展開を掴み取れ…といった内容のものでした。

カリキュラムの説明中に教授から飛び出た言葉、藝大を出ただけではなんの意味もない、在学中に掴めるかどうかだ…その言葉は強く印象に残っています。

具体的には、短辺2m、長辺2.5mを最小サイズとして、それよりも大きな絵画を制作するという課題です。

用意された木材とキャンバスを自分で加工し、キャンバスを貼るところから準備をします。インスタレーションや映像は不可です。

このカリキュラムが発表された際に、僕はモチーフとしたい肖像の撮影をしていました。その肖像をプロジェクターを使ってキャンバスに投影し描くために、キャンバスを自宅に持ち帰りました。大学ではアトリエを共同で使用しており、キャンバスへの投影のために部屋を暗室にすることは難しいためです。

自宅にキャンバスを持ち帰っても、描き始めるまでには多くの時間を必要としました。

もう、2年半は絵を描いていない。版画や空間、映像は扱ってきたけれど、絵を描いていない。絵を描くならば、実物もしくは写真の劣化版では意味がない。描くことで、現実を超える魅力に溢れた世界を創造しなければならない。

果たしてそんなことを、いまの自分ができるのか。恐怖と焦りに包まれたまま、木炭で線を引きました。自信のない弱々しい線を、少し手直しをして、線が絵の中で浮いて見えないように手や刷毛で擦って、30分くらい経過した頃には、絵画が立ち上がっていました。

汗だくになりながら絵から離れてみると、気分は軽く、楽しんで絵を描いていたことに気が付きました。

 

 

課題の最終日に、学年を担当する3人の教授に声をかけて批評をもらいました。その批評は、僕はダメなんだと再認識させるような内容でした。

ダメな絵画を早く視界から消そうと、誰よりも早く絵画の解体を始めました。すると、同じアトリエで隣に作品を展示していた同級生が僕を止めました。

『絵は描いて半分、ひとに見られて半分、それで絵の人生はやっと終えられる。だからまだ早い。』

同じアトリエを使うなかで、彼とは事務的に数回だけ言葉のやり取りをしたことはありました。彼は、解体した僕の絵を持ち上げて、張り直すように促しました。

 

youtu.be


鑑賞されるために絵画を元に戻したあと、ふと、1年次の後期にお世話になっていた教授のことを思い出しました。作品の写真をいずれ持ち込んで、その教授には見てもらおうと思っていました。しかし、今日中に片付けなければならないこの絵画は、まだアトリエで鑑賞のために展示されています。研究室に急いで向かって、その教授に批評をしてもらえるよう、取り付けました。

18:00も過ぎたころ、外は真っ暗になり、やっとアトリエの電気を灯しました。隣で作品を展示していた同級生は派手に床を汚しており、僕は床の絵の具を溶かす手伝いをしていました。

『養生すれば部屋は汚れないけど、養生をするとそこで世界も作品も止まるよね。そこで大きさも広がりも思考も規定されちゃう。』

初めてその同級生と雑談をした瞬間でした。

『マジでわかる。それ。』

わかってもらえた。

講評をしていた日中は作品を自然光で見せていて、また手狭なアトリエにより多くの作品を掛けるために可動壁も引き出して、実の詰まり過ぎた状態でした。

18:30も過ぎたころ、学年のほぼ全員が作品の片付けを終えて、可動壁も収納され、広いアトリエに僕の作品だけがただひとつ留まっていました。

アトリエに到着した教授に、僕はこの絵の細部をもう少し描いたら良くなるのかもしれない、そう説明をしました。

教授は、全くそうじゃない、もっと前後に、全体的に、とおっしゃいました。

『たぶん木村くんの絵は小さ過ぎて、絵の中のお尻も窮屈で、この壁を全体を使わないといけないんじゃないかな。アトリエが作品でいっぱいになっていたときは、よくわからなかったけれど、他の作品が撤去されて、横で掃除道具が散らかっていて、そのリズムでまた違って見えるんじゃないの。』

『太陽光で見せていたときは、壁の存在感は薄くて、作品が立体的に見えていました。でも先生が到着したいまは、太陽光が全くない中で蛍光灯によって等距離で壁が照らされていて、壁のコツコツした質感と絵画がぐっと近づいて、キャンバスと壁の境界が消えそうです。』

『そう、この大きさの壁に描くとか、もっと、絵の中身じゃなくて空間とか、前後の問題なんじゃないかな。』

『僕は、このくらいの塩梅がちょうどいいと思って、今回の絵は意識的に手を止めてここに展示しました。ただ、いまはこの壁の左下に絵を描いたら、すごく綺麗にキャンバスをしわなく壁に貼ったら、どうなるか気になって、自分が知りたい、見たい、最初に出会いたいと感じています。』

『その感覚、たぶんそれが1番重要。木村くん、それに気づいたらもう充分なんじゃないかな。』

 

 

“ 芸術家になれた日。”

片付けを終えてすぐ、将来も関係性が続くであろう大切なひとに、そう連絡しました。

芸術家って、金銭的に売れているかどうかとか、どのギャラリーに扱ってもらえているかとか、相対的な評価の中で上位に食い込む存在であることが芸術家と定義づけられるものだと考えていました。

しかし、それは違う。僕は今回の同級生の作品はよくわからなかったし、学年を担当する教授3人の批評もわからなかった。それでも、ひとりの同級生と、ひとりの教授と、作品を通して感覚が開通 (貫通) した感覚があった。つまり、自分がこのひとは芸術家であると確信を持って敬意を抱けるひとから、自分の作品についてポジティブに扱ってもらえた瞬間に、僕は芸術家になれる。自分の定義する芸術家に、自分の芸術を認めてもらった瞬間に、僕は芸術家になる。

 

ーーーーー

 

僕は8年ほど前、美術を始めた頃から自分の感情の機微をクラウド上のメモに記録しています。最近は、YouTubeやこのブログで自分の思い綴ったことを公開しています。

僕は美術が好きです。生涯を通して、美術に何か還元をしたい。それは僕が作家として自分の作品の影響力を強くすることが王道かもしれないけど、時代の潮流に持ち上げられ知名度を上げるまだ知らぬ作家を磨く石になってもいい。

もし自分が影響力や知名度を持つことが、もし仮にあったときのために、今日も僕は記録を続ける。

僕の経歴が誰かの役に立とうとするときに、僕の口から出る過去の話は、きっとリアルじゃない。

そのときどきに、当時に感じた本当のリアルを記録として凍結しているから、それを見てほしい。

僕に声をかけなくても、僕が知る由がなくても、何となく僕のことが気になったひとが、気軽に僕の思考の変遷を辿れる、その必要性が現れるかもしれない瞬間のために、データベースを作ろう。

セルフ・モニタリング 2022年3月

第1週

蒸気機関車の模型の制作に当たる。

f:id:gattamerata:20220411203710j:plain

中部地方の財団の方に自身の作品を紹介する。

同窓会で事務局としての業務に当たる。

友人と川崎市岡本太郎美術館で『第25回 岡本太郎現代芸術賞』を、また東京都写真美術館で企画展を3展、鑑賞した。

オンラインサロンへ参加。

友人と国立新美術館で『令和3年度 第45回 東京五美術大学連合卒業・修了制作展』『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』『ダミアン・ハースト 桜』を、森美術館で『Chim↑Pom展:ハッピースプリング』を鑑賞。その後に焼肉を楽しんだ。

f:id:gattamerata:20220411203714j:plain

 

第2週

アーツ千代田 3331で『オルタナティブ! 小池一子展 アートとデザインのやわらかな運動』を鑑賞した。

SOMPO美術館で『FACE展 2022』を鑑賞した。

蒸気機関車の模型の制作に当たる。

同窓会で事務局としての業務に当たる。

横川駅に隣接する『碓氷峠鉄道文化むら』にて電気機関車の構造を学ぶ。

f:id:gattamerata:20220411203702j:plain

藤沢駅鎌倉駅間で江ノ島電鉄に乗車する。

f:id:gattamerata:20220411203706j:plain

友人と落語を鑑賞する。

 

 

 

追憶のC62 2

前々回のブログを更新した直後 (約1ヶ月前) に教授から今年度 最後の批評を受けました。

 

作品『自画像 (学部一年)』では、僕の作為を説明する以前に教授へ意図は伝わっており、ひとつ安心を覚えた瞬間でもありました。

 

また、社会学を学ぶ友人にもポートフォリオを紹介していくつか批評をお願いしました。

 

『自画像 (2014年制作)』『自画像2019』『自画像 2022』の自画像シリーズを通して、具体的には以下のようなコメントを貰いました。

 

・本来は自画像は作家自身を映す鏡であったが、他人の姿を充てがうことで自画像とする解釈は面白い。

・(ジェンダー論のような) 昨今よく目が行くポイントを、SNSの主役である女性たちの表象的な部分を扱うことで示している。

・一連の変遷はメディアテクノロジー、つまりカメラの技術の変化やSNSの登場により、存在が顕在化させられている。

・技術によって我々の社会的な何かが変わってきた、技術決定論によるものなのか。誰かの欲望や思いによってテクノロジーが生まれてきた、社会決定論によるものなのか。

・テクノロジーの支配の中で女性は自撮りで何を達成したいのか?と言う射程、つまり彼女らの眼差しをもっと知りたい。

 

上記の内容を踏まえ、ポートフォリオのバージョンを新たにひとつ、増やしました。

既存のポートフォリオはそのまま残しつつ、メディアテクノロジーや美術の技法などに詳しくない方でも作品を読み取れるように、全ての作品に詳細な解説を記入しました。

 

f:id:gattamerata:20220325220123j:plain

f:id:gattamerata:20220325220656j:plain

f:id:gattamerata:20220325220651j:plain

 

加えてこの1ヶ月でもうひとつ、大きなことなありました。それは、真鍮製の蒸気機関車が完成したことです。

 

f:id:gattamerata:20220325221050j:plain

 

デアゴスティーニから発売されている全100号のパートワークを買い集め、遂に完成させました。

内容は素人向きと言えるものではなく、ユーザー独自の改造やメンテナンスを行わなければ完成させられるものではありませんでした。

 

全長 1m 重量 12kg とサイズも大きく、微小な模型に比べても蒸気機関車の構造面からしっかりと組み上げることが出来たので、蒸気機関車の仕組みを知る大きな勉強となりました。

蒸気機関車を組み上げる過程に付随して実物の蒸気機関車の取材にも何度か訪れることがあり、パートワークへの高価な投資は蒸気機関車の根本的な構造の理解と知識の増幅という素敵な結果を招きました。

 

f:id:gattamerata:20220325221003j:plain

f:id:gattamerata:20220325221009j:plain